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琉球空手の型



琉球王国時代、主に空手が盛んだった三地域から分類される空手の型

琉球空手の代表的な型

琉球王国時代には手(ティー)に流派というものはありませんでした。現在、主に空手が盛んであった地域の地名を取り、大きく三つに分けられています。

首里手
琉球王国時代、首里は政治・経済・文化の中心地でした。
そのため海外交流も盛んになり、文化的にも武術的に影響を受けながら、首里の人々によって継承されたと伝えられています。
那覇手
那覇手は、琉球王国時代、王国位置の商業地であった那覇に住む人々によって継承されたと伝えられています。
那覇は海外交流促進のため、造船の技術者、通訳官として、明(みん)から『びん人三十六姓』と呼ばれる人々を呼びました。
この時、日本に移り住んだ『びん人三十六姓』の人々から武術を学び、独自に発展していったと伝えられています。
泊手
泊手は琉球王国時代、貿易が盛んであった泊村に住む人々によって継承されたと伝えられています。
貿易港があった泊村には、中国人等多くの外国人が出入りしていました。また、漂着した交易船の乗組員の宿舎があったため、その乗組員とも交流があり、そうした人々との交流の中で武術を学び、泊手は発展していったとされています。




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