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琉球空手の歴史



約250年の間、門外不出、一子相伝で士族間で秘密裏に受け継いできた唐手(トゥーディー)。


1429年尚巴志による三山統一から琉球王国が成立しました。
この時代人々は様々な危険があり、その身の安全確保のために、何らかの防衛策を取らねばなりませんでした。そのような歴史的時代背景の中から手(ティー)が生まれ、発達しました。
その当時の沖縄の武術家の間では、手(ティー)という言葉は、「術」もしくは「武術」という意味を表していました。

琉球王国時代、沖縄独自の武術「手(ティー)」と中国拳法が融合し、琉球拳法、唐手(トゥーディー)が誕生します。
唐手には、首里城を中心に発達した首里手(しゅりて)、商業都市那覇で栄えた那覇手(なはて)、琉球の第二貿易港だった泊港(泊村)一帯で泊手(とまりて)が発達し、多くの武術家を生み出す事になります。


約250年あまりの間、唐手は門外不出、一子相伝の武術として氏族間で秘密裏に受け継がれていました。

1879年、廃藩置県によって琉球王国が沖縄県となり、新しい諸制度が導入されるようになります。
1900年初め頃には、小学校で体育の授業の中で「空手」が取り入れられました。それから中学校などで取り入れられ、沖縄では一般にもその存在が知られることとなりました。

また、明治から大正にかけては、新聞などによって唐手が沖縄独自の武技として紹介され、大学でも積極的に空手が取り入れられました。そして沖縄のみならず、日本全土にまで広まり、唐手は空手と呼ばれるようになります。
その後、空手が子供やお年寄りにも出来るという認識が日本中に広まり、空手は注目を浴びるようになっていきます。
こうして日本各地で様々な会派、流派が誕生していきました。




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