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泡盛の歴史



他の焼酎とは違い、黒麹を使って造られる泡盛。
三年以上熟成されたものは『古酒(クース)』と言い、味・香りがますます良くなります。


泡盛は15世紀初め、現在のタイからシャム船が貿易の目的で琉球に渡ってきたことが始まりとされています。
その時、ラオロンと呼ばれるお酒が伝わり、それが泡盛の元になったと言われているのです。
その後、幾度となく選別を繰り返し、より良いものだけが残っていきました。そして、その製造技術も磨き上げられた泡盛は、瞬く間に唯一無二の酒としての扱いをうけることとなったのです。
それにより泡盛は琉球の特産品として、贈答品、上納品に用いられるようになりました。

しかしその後泡盛はその魅力のために、琉球王朝時代、琉球王府からの徹底した管理にあい、一部の認められた家以外での製造が禁止となったのです。
しかし、沖縄県となり、その管理が解かれると、泡盛は民間に広く広まり、酒屋の数も増えていきました。



ウイスキーやブランデーのように、超時間貯蔵熟成させた泡盛を、古酒(クース)と言います。
古酒は泡盛を、3年以上貯蔵、または3年以上貯蔵した泡盛を仕次ぎにより50%以上含んだ泡盛を指します。
時間と共に増したまろやかな味、芳醇な香りが特徴です。
古酒は長い時間をかけて製造する貴重品であるため、献上品として大変高い扱いを受けていました。

現在沖縄では、古酒を誕生日や結婚の際、会社設立の際など、特別な行事ごとに詰める習慣があります。

古酒の造り方には、『仕次ぎ』という方法があります。
これは、年代順に酒を貯蔵していくという方法です。
親酒と呼ばれる最も古い酒、二番手に古い酒、三番手に古い酒、という風に用意しておきます。
汲み出す場合は親酒から汲み出し、汲み出した分だけ親酒の甕に二番手の甕から補充します。次にその分を三番手の甕から二番手の甕に補充していくのです。
こうすることにより、蒸発したりして目減りすることや、時間がたって風味が損なわれることを防ぎ、数百年に渡る古酒を造ることが出来るのです。

古酒の熟成には、良い甕を使用することが重要であるとされています。それには上薬を使用しない、沖縄の『荒焼(あらやち)』という甕が適しているとされています。



泡盛は、琉球王朝時代の将軍献上品の目録で『泡盛』ではなく『サキ』と明記されています。
では、何故『泡盛』と呼ばれるようになったのでしょう?
泡盛は、その名前の由来に大きく 4つの説 があります。
現在は米(タイ米)で作られている泡盛ですが、かつては米と粟(アワ)から製造されていました。このことから泡盛と呼ばれるようになったという説。
原料起源説
かつて酒屋では、泡盛の度数を計るのに、泡立ち具合から判断する方法をとっていました。蒸留後の酒をひしゃくですくい、上から甕(かめ)に流し入れ、その泡が長く持ちこたえることが出来たものほど、アルコール度数が高いと言われます。その泡から由来したとされる説。
泡を盛る酒説
江戸幕府に献上していた頃の泡盛は『焼酎』と呼ばれていました。しかし、1671年頃の文献によると『泡盛』と記されています。
これは薩摩藩が、その頃江戸で流行していた他の焼酎と差別化し、泡盛の商品価値を高めるために命名したからであるとされています。薩摩藩が命名したという説。
薩摩命名説
古代インドのサンスクリット語で酒のことを意味する『アワムリ』から由来するという説。 アワムリ説
以上の説がありますが、どれも確定ではありません。
それほどまでに古い時代から泡盛が続いてきたこと、その貴重さゆえに一部の人間だけしか製造が許されなかった時代があったことも原因なのかもしれません。




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